『竜馬がゆく』後ろを歩いた 2025
去年訪れた高知県、桂浜。
海水の碧さ、空の透き通ったブルー、砂浜の白。
目の前に広がる太平洋に、吸い込んだ息を一瞬止めてしまう位
感動した。
ここに来たならと訪れた、坂本龍馬記念館の帰り道には、
にわか龍馬ファンの私。その隣を歩いていた友人は
「『竜馬がゆく』全巻持っているけど、貸してあげようか?」というではないか!
と言うわけで、今年2025年は
私にとって、司馬遼太郎元年。『竜馬がゆく』8巻を読むという流れになった。

2025年初来店のお客様は、サハリン在住の友達夫妻。
読書家の旦那様は、当然『竜馬がゆく』は過去に読んでいて
「次の帰国は、今年の11月なので、その時に感想を聞かせてください」
と言われる。
間違いなく、年明け一番にこの約束があったから、今年『竜馬がゆく』を読み終えれた。
毎年2月から始まるカット講習会。
新幹線で東京に向かう時間は、いつも読書か、寝てるか。
さすがに、今年の移動時間は『竜馬がゆく』を読んだ。
既に、この日までに、竜馬は江戸に剣術の修行に行く為に、
高知を出発して船で大阪に入り、そこから伏見に移動した後、
足を使って江戸に向かって歩き出していた。
どんどん先を歩く竜馬の後を、新幹線に乗った私が追いかける。
名古屋を超えたくらいから、
「ん?ひょっとして。。。。。」と思いながら読み進めると。
”右手に遠州灘七十五里の紺碧がひろがっている。
左手には、三河、遠江、駿河の山々が、天のすそを濃淡の青で
染めわけて重なっていた。
しかもこの雄大な風景には主役がいた。
富士である。
竜馬にとってはじめて見る富士であった。”
嘘ではなく本当に、
ページをめくり、竜馬が富士を見た時、私も新幹線の車窓から、一緒に富士山を見た。

「司馬史観」という言葉がある。
解釈や、定義はいろいろありそうだけれど
歴史小説家の司馬遼太郎によって示された独自の歴史観だという。
司馬遼太郎さん自身はこの言葉が嫌いだったそうだが、
膨大な史料を読み込んで、ユーモアのある語り口で書く歴史小説は、
歴史の授業の記憶がほとんどない私にとって、もはや教科書レベル。
司馬遼太郎記念館館長のお話を読んだ。
「司馬遼太郎は自分の見方で歴史を考えることを楽しんでいた。
その人物が亡くなってすぐでは、
知っている人も多く存命しているので取り方がまちまちで定まらない。
亡くなって100年後、皆の思いが消え、
史料だけが残っていく。その史料を眺め、
その人物がどういう人生を送ってきたのか、空想したり、考えたりしているときが
自分にとって楽しいと司馬は言ってました」
(中略)
「その人物や周辺の人たち、その時代と言うものを複眼で見ていた。
そうやって史料を駆使して人物を造形していったのです。
私は、司馬遼太郎は史料を通じて、
歴史上の主要な人物と自在に話ができたのではないかと思っています」

『竜馬がゆく』で一番読みたかった場面
薩長同盟がどのようにして成立したかの場面で
竜馬は、西郷隆盛に
「長州が可哀想ではないか」と叫ぶように言うシーンがある。
司馬さんは、竜馬から出たこの一言を書こうとして、
三千枚近くの枚数を費やしてきたという。
この一言が出てくるまでの、
西郷隆盛、桂小五郎、それぞれとの竜馬の対話のシーンは
司馬さんって、本当に彼らと話ができたのではないかと思ってしまうほどだ。
”事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、
この若者によって筆者は考えようとした”

最後の15代将軍・徳川慶喜が大政奉還をするシーンも
司馬さんは、慶喜の自己犠牲の上に、大政奉還が成されたと
書いた。
約260年続いた徳川家を、自分の意志で終わりを選んだ慶喜の気持ちを
司馬さんが考えて、考えぬいて出てきた言葉なのではないかと思う。
(余談ですが、
大政奉還が行われたのが、10月14日から15日と言われているのですが
私が『竜馬がゆく』で大政奉還のシーンを読んだ日も10月14日)

『竜馬がゆく』を読み始める前は
もっと若い時にこの本を読めばよかったのかなと思っていた。
でも、読み始めると
”薩長同盟を成立させたスーパースター・坂本龍馬”
っていう単純な話ではなくて、
それまでにいろんな人が時代の流れの中で倒れていって、
いろんな人のアシストによって竜馬も生きてきた。
自分が前に出て、何かを成し遂げることだけが成功では無くて
1つ先を見る想像力というか、
薩摩と長州という優秀なものを結びつける為に、
あらゆる立場の人のことを考え、尽力できる。
表舞台には立たずに、一つのことを成し遂げる。
そんな竜馬みたいな生き方って、
今の自分、これからの自分は、これだなと思う。

11月、
いよいよサハリンから一時帰国した、友達の旦那様と会う日が来た。
ご来店して、直ぐに
「これ。文野さんにお土産」
と、仕事で北海道に行ってきたらしく、六花亭のチョコレートを
旦那様から手渡される。
趣のある花が何種類か書かれてある箱だった。
「この絵、誰が書いたか知ってる?」と聞かれ
当然「わかりません」と私。
「坂本さんっていう画家なんだけれど」
「坂本??? 知りません」(全然気づかない私)
「ほら、文野さんが読んだ本の。。。」
「?????」(まだ、わからない私。)
「この絵、描いたの坂本龍馬の子孫なんだよ」
「えー!」(やっと、理解できた!)
人脈、時の運が、紙一重でつながる面白さ
それは、時代が変わっても起こりうるものだと思う。
今年『竜馬がゆく』を読んだのも、
偶然の様で必然だったと、今ではなくとも未来のどこかで
思う日が必ず来る。
竜馬の後ろを行きながら、司馬史観に触れ
2025年は今までにない考え方や視野が脳みそに入ってきた。
来年も、人、物、コトの新しい出会いにワクワクしよう。
今年も、一年間本当にありがとうございました。
また来年も
Mueを素敵な空間にできるように努力します!
よいお年をお迎えください。
