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冬はつとめて

お休みの火曜日。

ヨガの後、次の予定までの時間と、自分のお腹のすき加減がマッチした時

よっしゃ、今日は行こ!と足が向くお店がある。

 

 

「菊壽堂義信」

夏は宇治金時のかき氷。冬はおぜんざい。

本当に有名なのは”高麗餅”

 

看板も、のれんも何も出ていない、外観は昭和感あふれる普通の町家。

ものすごい都会の真ん中で

”ガラガラガラ~”って音をたてて開く、昭和レトロなガラス戸を

毎回、これ、右を開けるんやったっけ?左やったかな?

と一瞬、ひるむんだけど、おもいきってガラス戸を開ける。

 

「いらっしゃい。何しましょ?」

奥から出てくる店主の、耳障りのいい関西弁の第一声に

ものすごくホッとする。

 

ドキドキするガラス戸を開けて、すぐに目に入るのは

ショーケースに並ぶ、綺麗な上生菓子。

季節によって変わる和菓子は、一つ一つ丁寧に作られていて、

見るだけでも価値あり。

 

京都生まれ、京都育ち、お家の周りは老舗の和菓子屋だらけという

メイクの鵜飼先生に持って行ったら

「んまい!」と旦那様からも褒めて頂き、以来、先生のお気に入りの和菓子になった。

 

 

その次に、目の高さにある”カレンダー”が気になる。

直ぐ近くにある少彦名神社の

神虎笹(五葉笹に張り子の虎(神虎)と赤い札が付いた縁起物)が

ええ塩梅でカレンダーと何の違和感もなく、ワンセットになっている。

 

一月、初詣と決めていくのが、住吉大社と大神神社。

三が日に、住吉さん。

成人の日を含む三連休明けの火曜日に行くのが、三輪さん(大神神社)。

 

毎年、小正月を迎えるまでは、お客様の入りも良く、

成人の日が終わるまでは、バタバタしていて落ち着かないので、

それが終わると、やっと”新年”という気持ちになる。

 

毎年、大神神社での初詣では、新しい気持ちで新年を迎える為、

私の中で、ちょっとした儀式がある。

大神神社のご神体であるお山を登拝し、

去年一年間に溜まった、心の澱みたいなものを

綺麗に流してもらおうという試みだ。

 

まだ空が暗いうちから支度をして、朝の早い時間の電車に乗り、

登拝するための、受付開始9時に間に合うように向かう。

 

大神神社のある、奈良県桜井市は、冬はもちろん寒い。

行ってみたら雪だったなんて、もちろんある。

わざわざそんな寒い時期に、朝の早くから登らなくても

と言われることも多いが、

あるお客様に、登拝に行く話をしたとき

 

「冬はつとめて、やもんね」

 

と言われたことがあった。

その知的な言葉にうっとりし、

「そうですよね~」なんて言いながら

心の中で、それ、何やったっけ?

確か、”春はあけぼの”の仲間みたいな感じやったな。。。って調べる私。

そう!清少納言も提唱してる。

冬こそ、趣が深いのは、早朝なのだ。

キーンとした冬の朝の冷たい空気の中、

自分の息と、鳥の鳴き声しか聞こえない山の中を歩き出すと

朝日は、木々の間から光の斜めの線になって、目の前に現れる。

地上の緑だけでなく、水の近くで地を這う緑、土の中に潜む命も姿をだす。

 

頂上に近づくにつれて、汗だくで

自分の荒くなってる息遣いしか聞こえなくなる時には

頭の中が空っぽで、

脳みそは、ただひたすら手足を動かす指令だけで

何にも考えられない感覚になる。

 

そうなった時、不意に

何かが降ってくる(降ってこない時もある)

言葉の時もあれば、

良くも悪くも、ありのままの自分の感情と対峙する時もある。

 

清々しい朝の空気の神聖な山の中で、

余計なものをそぎ落とした時、導かれる答えみたいなものがある。

―そんな新年の儀式。

 

 

大神神社への登拝から少し経って

初めて朝一番に、菊壽堂義信さんに行った。

いつもは閉まっている襖が少し開いていたので、中の厨房の様子が見えた。

おそらく、小豆を煮ているであろう銀色の寸胴の鍋から、

気持ちよさそうに湯気が立っている。

 

「すぐに、準備するさかい、ちょっと待っててや」と

鵜飼先生への手土産にと、上生菓子を包んで頂いている間に

カレンダーに書いてあった「大明神」と題した文章を読んだ。

 

”年の新しさは気持ちの新しさでもあろう

年の改まると共に気持ちも改まる

旧年への感謝を伝え 新年の祈願を込めて初詣に出かける

(中略)

 

”去年今年 貫く棒の 如きもの  虚子 ”

 

季節の移り変わりはあれど、

三輪さんのお山も、菊壽堂さんのお店も

一本の棒のように

時代に左右されないで、何も変わらない時間が流れている。

きっと、何があろうと

同じ時間に起き、同じ時間にあの鍋に火を入れて。

私みたいな

自分都合の新年の切り替え儀式や、イレギュラーな開店直ぐの訪問を

受け入れてくださる自然と人達の”変わらない”という、尊さ。

それに気づけた、冬の朝。

 

高浜虚子先生、

先生の俳句を、そんなふうに私は解釈させて頂きました。

いかがでしょうか?