ラテン系言語
二十四節気
「清明」にあたるこの時期。
通勤のなにわ筋も、花が咲き、空は青く澄みわたり、
風は、まだ冷たい時もあるけれど、とうとう今年初、蝶までお目見えです。
携帯電話をポケットに入れて、
この朝の贅沢な時間を、満喫してお店まで。
今月も、田辺聖子先生のお力を頂戴して、新しい月の私のテーマ「面白がる」
このページにも書いてますが、
何事にも面白がる精神を「失わはったら、あきまへんえ」
さらに朔日。
田辺先生からは、こんなメッセージ。
” 四月一日
人生でいちばんいい言葉は、
〈ほな〉である。”
「ほな、さいなら」
「ほな、行こか」
〈ほな〉の後に続く言葉は、終わりも始まりもある。
いや、終わりも始まりも、”ありうる”感じ。
余韻と言うか、いろいろあるけど、丸く収めて、とりあえず、一旦、目の前の事終了。
リセットして、はい。次。みたいな。
〈ほな〉には、続きを見たくなる。知りたくなる。
こういう言葉って、言葉が包み込む範囲が大きいから、
器が大きい言葉と私は思っています。
最近、頻繁に耳にする言葉。
「知らんけど」
「ほな」も「知らんけど」も関西弁。
関西には、物事をあまりはっきり言わない風習があるというか
白黒はっきりしなくてもいいやん的な。
「ええ加減」という、とっても便利なさじ加減があります。
私が、いつも楽しみにしているコラム。
AERAdot.の芸術家の横尾忠則さんの『シン・老人のナイショ話」
https://dot.asahi.com/wa/2022110900083.html?page=1
↑これにも書いてありますが(ぜひ、開いて読んでください)
これらの言葉には、諦め的なフィーリングがあって、
一種の魔法の様な言葉。
言い過ぎず、言わなさ過ぎない、ちょうどいいところを目指した言葉って
素敵だなと思うのです。
このコラムにも出てきますが、
”関西人にはどうもラテン系の血が流れているのでは”
と横尾忠則さんもおっしゃいます。
先日、友人から教えてもらった、京都の帯職人のインタビュー記事。
この帯職人さんの言葉や、デザインした斬新な意匠や複雑な柄の帯。
もの作りに対する執念。どこまでも強いメッセージ性があったにも関わらず、
この京都の帯職人さんに
”自称ラテン系の開けっ広げな人柄”と書かれてある。
(ちなみに、横尾忠則さん兵庫県出身。
さらにちなみに、大阪府出身、田辺聖子先生も
私が読んだ過去のインタビュー記事で”ラテン系”という言葉を使っていらっしゃいました(笑))
関西の(勝手に名付けますが)このラテン系言語。
こういう言葉が、”ダメかもしれないけど、今はこれでいいのだ”と
今の自分自身を肯定する気持ちとか、
その場を、華やかな気分にしてくれると思うのです。
最後に、もう一つ。私のおススメ横尾忠則さんの
(↓こちらも、ぜひ読んでください)ラテン系『なるようになる』精神)