夏の課題図書
「学びて思わざれば、則(すなわ)ち くらし。
思いて学ばざれば、則ち あやうし」
『論語』(為政第二)
現代語訳:
人や本から学ぶだけで、自分で考え悩むことがなければ、
混乱をきたすばかりである。
限られた自分の知識で思索するばかりでは、考えが偏って独断に陥り
確固たるものはつかむことができない
いつの間のか、セミの鳴き声を聞かなくなりました。
鳴いてないわけでは無いのだけれど、
明らかにその鳴き声に存在感が無くなり、
季節は次に進んでいます。
この夏、友人に薦めてもらった本『花咲か人生』を一度読んでから、
今、もう一度読み返し(読み直し)始めてます。
この前読んだ、養老孟司さんの『ものがわかるということ』に続き
この本も著者の大敬先生(立花大敬先生)が
深い深い内容を、わかりやすくわかりやすく書いてくださっているけど、
私は一回読み終えただけでは、不完全燃焼、もしくは、消化不良状態。
再度、読み返すことで、一回目よりは満足していたい(と願っている。。。)
さらに、この夏、この友人に連れられ映画
『君たちはどう生きるか』を観に行ってきました。
これまた、深い。。。
ただ、1つラッキーなことに、
この夏の課題図書『花咲か人生』をちょうど(一回目を)読み終えた日に
この映画を観ることができました。
ジブリの映画とは、全く関係のないこの本の内容が
私の中ではあれこれとリンクして、深い内容の映画の中に、
私なりの理解が生まれた感じがします。
この『花咲か人生』の中に書かれてあるのですが
「大自然が”ある意図”をもって、あなたという存在を創りました。
ですから、あなたは一切の是非善悪の心を忘れて、意図を忘れて、
あなたという存在に無心に落ち着けさえしたら、
おのずとあなたを通じて、大自然の意図が実現してゆくことになるのです。」
(原文そのままです)
この映画の中でも、全ての登場人物(動物、植物全て)が
大自然の”意図”によって存在し、それぞれがその本来の位置にいて、
輝いているのだなと。
冒頭に書いた『論語』は、
「論語パパ」こと中国文献学者の山口ようじさんが
AERAdotで紹介してくださったのですが、
この論語に対しての解説で山口さんは、
「学ぶ」ことは、人と交わることでもあると。
人と交わりながら、考える力を養う事だと書いています。
私のこの夏の課題図書、そして映画は、まさにそのような感覚です。
(以下、AERAdotより、山口さんの記事の本文抜粋)
”勉強は「競争」に勝つためにするものではなく、
自分が知らない世界が無限に広がっていることを知ること。
世界の歴史の発展の中の、どのあたりに自分がいるのかを知ること。
自分の中にある問題を、自分で納得できるように解決する方法を見つけ出すこと。”
大自然の何らかの意図によって、
この夏の課題図書が、
映画が、
そして、この論語が
今の私の目の前に出てきたのだ!
と、信じている夏です。