また、新しく始まる
2024年1月15日
たくさんの方々に支えられて、今日からMueは5年目に入ります。
私にとって、お正月や節分といった暮らしの節目に立つような気持ちになる、
この日の朝を
無事に迎えられたことが嬉しいです。
一人のお店だからこそ、
独りよがりにならず、支えてくださる方々への感謝を忘れず、
この一年間も精進していきたいと思っています。
毎年、初詣は”すみよっさん”こと住吉大社へ。
その住吉大社から、少し外れたところにある小さなお寺。
そこは、基本的には地蔵尊のお寺の様で、
私の甥や姪が、健やかに、穏やかに過ごしてほしい的な感じで
手を合わせに行ってます。
そこのお寺に、いつも有るわけでは無いので、
目にしたときに、”ラッキー!”と思って、それがランダムに入ってある箱に手が伸びる
『ひと言法話』
この内容は、いつもなかなか良いんです。
今回、この『ひと言法話』
◇ 諦める(あきらめる)ということ
【解説】
私達の生活の中で使っている言葉に
仏教から生まれたものは沢山あります。
その中のひとつ「諦める」は、
物事に対して、それ以上の努力を断念する、
という消極的な意味で用いられています。
しかし、仏教では、
「物事の理(ことわり)をはっきりした上で、
その理に合わない事を捨てる」
と言う意味があります。
本来、「諦」とは、
「真実」「真理」を表す意味で、
「物事をあきらかにみつめる、あきらかに理解する」
という意味が込められています。
諦めることは、前進することでもあるのです。
去年から新しく通い始めたヨガの先生からも
同じような事を教えて頂いてます。
”リストラティブヨガ”という
自分の身体を「ゆだねる」事により
無意識に入っている心身の緊張を手放すように言われます。
静かな時間の中で、自分の身体の重さを感じながら
深い呼吸に耳を澄ませると、
自分の身体や心が求めているものが、
ふっと湧いてくる瞬間があります。
「呼吸ができない動きは、身体が無理している証拠。
ほどほどのところで、諦めて」
と先生にも言われます。
5年目に入り、
オープンした時にはわからなかった事や、
見えていなかった風景が、あります。
この一年は、
いい意味で、できない事は諦めていく。
そして、本当に大切にしたい事を、
自分自身の中であたためて、行動していこう。
窓際の南天が、今日も気持ちよさそうに、たたずんでいます。
私にはいつもポーカーフェイスの、この南天。
どんな時も何食わぬ顔で、何も言わないけど、
何が正しいのかを
ちゃんとわかっている感じがするのは、
私の気のせいかな?