「エモい」夏
夏、本番。
私のお家の近くのセミが鳴く時間も、どんどん早くなり
最近は朝の5時から鳴いています。
続けて最近気になる、いや、定期的に気になる言葉。
「エモい」
何年か前にやってきた、気になる期の時は、まだ以前に勤めていた美容室に在籍していて、
その時は、10代後半位の若手のスタッフに
「”エモい“って何?どういう意味?」って聞いたのを覚えています。
この若手スタッフが、説明に困ったあげく
「こんな感じです。。。」
と言って彼女の携帯の画面に現れた、私は見たことも聞いた事も無い、キャラクター。
「これ、こう言う感じ。”エモい“ッす」
ちょっと沈黙があってからの
「ふ~ん。ありがとう。」と私。
ちょっと申し訳なさそうに去っていく若手スタッフの背中を見ながら。
誰が悪いって「エモい」が悪いわ~と思ったのを覚えています。
さて、最近は私の定期購読中の朝日新聞デジタルでも、
この「エモい」に関して、ちょっと論争(まではいかないけど)があります。
新聞記事の内容はともかくとして
そもそも未だ「エモい」ってなんぞや。ってところからの私。
いろんな人の意見がデジタル空間で飛び交う中、
私なりの「エモい」がわかってきた、2024年の夏。
普段から、歩いている時もお店にいる時もお休みに出かけた先でも
「この一瞬を切り取りたい!」と思った時は
その場所にカメラを向けて写真におさめています。
けっして”バエル“ものでは無くて私が個人的に”なんか気になる“だけのもの。
そう!
この“なんか気になる””なんかいいよね“的なものこそ
「エモい」らしい。
そして、私のやってはいけないのにやってしまう歩きスマホの一因を担う、
朝日新聞デジタル、「折々のことば」
(どうでもいい事ですが、
毎朝、この「折々のことば」と「天声人語」
を歩きスマホして読みながら、通勤道のなにわ筋を北上してお店まで)
そこで紹介されていた、穂村弘さんのこの言葉
”さみしいものが見たくなるのは何故だろう。”
◇
朽ちかけた家の褪せた表札やひしゃげた牛乳箱、
地方の商店街の店先にたたずむ昭和っぽい寝間着を着たマネキン。
見向きもされずに放置されたモノたちに出くわすと思わず見入り、
立ちされなくなると歌人は言う。
(2024/7/28 朝日新聞:折々のことば)
京都、出町柳。
メイクアップアーティスト、鵜飼真理さんのプライベートサロン(chaperon)に
ひょっこり行かせてもらう事もあり、
ここ何年間、京阪出町柳駅に行く機会が増えました。
今年の春に行った時、鵜飼先生お勧めのカフェに行くことになり、
鵜飼先生サロンを出て教えてもらった道を、ひたすらまっすぐ進むと
とっても、面白い道に入っていくことができました。
鴨川と並行して通っている道。
鴨川の土手を歩いていただけではわからなかった、
その土手を超えると、こんなにもたくさんのお家が所狭しと並んでいて、
人様の玄関をこんなに至近距離でたくさん見ながら歩く。
(その細い道の住宅街の中に、いきなり出てきた金魚屋さん笑)
この道を抜けると、出町桝形商店街にぶつかります。
ご存知、豆大福と言えばの”出町ふたば”のある商店街です。
この商店街こそ、私の中でエモさ満開。
春には春の。
夏には夏の。
先に書いた穂村さんの折々のことばには、続きがあります。
”人には明るさや楽しさ、豊かさや温かさだけでは埋められない
「隙間みたいな領域」があって、
そこを埋められるのはさみしさだけだと”
私が思う「エモい」とは
たわいもないモノや風景の中に宿る、
人には分からないかもしれないけど、私の中ですごく価値がある物。
それがエモい。
そして、今日も暑い。。。。。